育成年代のあるべき姿を目指して

育成年代の想い

これで良いのか?スポーツの考え方!

本来、スポーツとは自発的に行うものであり、楽しいからするものです。
にも関わらず、『星野君の二塁打』のような悲劇がスポーツの現場で起こるのはなぜでしょうか?
今回の投稿では、育成年代のあるべき姿を考えてみたいと思います。

星野君の二塁打とは

まずは、リード文にある『星野君の二塁打』について説明したいと思います。

『星野君の二塁打』は、道徳の教材になる児童小説です。
道徳教育研究校の公開授業の教材として取り上げられていたようです。
この教材のテーマは「規則の遵守」です。

内容を簡単に要約すると、
【少年野球で監督のバント指示に従わなかった星野君がメンバーから外される】というものです。
星野君は打てそうな予感がしてバットを振り、二塁打を打ちます。
お陰でチームは勝利し、上位の大会出場が決定しました。しかし…

監督は、選手を集めて語ります(指導します)。
チームの作戦として決めた事は絶対に守る、という監督と選手間の事前の約束を持ち出し、
みんなの前で星野君の行動を咎めました。

『いくら結果が良くても、約束を破った事には変わりはない』
『犠牲の精神の分からない人間は、社会へ出ても社会を良くする事なんか、できない』などと語り、
次の試合に星野君を先発出場させない事を宣告します。

小6道徳「星野君の二塁打」徳目に反する事実を提示する|みんなの教育技術
小6道徳「星野君の二塁打」授業づくりの指導案です。授業進行の原動力は矛盾という視点から、いくつかの徳目に反する事実の資料を提示して、子供たちに「矛盾」を感じさせる授業展開にします。この授業構造により、子供たちは活発に意見を発表し思考の活性化...

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約束を守るのは大切な事

この道徳教材は、
「野球を知らない子(人)には、状況が分かりにくい」、
「野球チームという限られた組織内での規則を、一般社会での規則と同一視するのは?」
など、批判があるようですが、
時代背景とともに文言やニュアンスなどが修正されているとは聞いております。

この中にある「約束を守る」「事前に決めた事を守る」というのは、当然、大事な事であり、
私もこれらを否定するものではありません。

サッカー(スポーツ)ならどうなのでしょうか?

サッカーの競技特性は、競争があり、ルールがあり、味方や相手がいる、
という他競技にもあるような一般的な特性はもちろん、サッカーの特徴とも言える競技特性として、
【プレーの自由と決断】【攻守の連続性】というものがあります。

スポーツには勝敗があり、勝利を目指してプレーする以上は、
サッカーの特性上、自分で判断し、決断する必要性があり、攻守に切れ目がない競技なので、
より自身の素早く、的確な判断が求められます。

つまり、監督やベンチからの指示に従って、いちいちプレーしている暇などないものですし、
そもそも、指示通りにプレーしても、楽しくありません。

これは競技毎の特性やスポーツの特性(ネット型・ゴール型等)に合わせた、個人の好みもあるので、
サッカーが良くて、野球がダメという話ではありませんし、プロとアマチュアでも話の角度は
大きく異なって来る事と思います。

サッカーではどうか?という結論で言うと、
基本的には、『星野君の二塁打』はあってはならない事だと思います。
但し、プロ、または、企業スポーツでシビアに勝利が求められるカテゴリは指示は順守、
アマチュア、特に、育成年代では、『星野君の二塁打』は絶対にあってはならない事です。
この延長線上に、あの≪日大アメフトタックル事件≫があるのだと思います。
基本的にと書いたのは、プロであっても、勝つためにチームの指示には従いますが、
自分で判断して勝利に貢献できる方が良いに決まっています。

育成年代で指導者や保護者が知っておく事

私たち大人、指導者、保護者は、知っておかなくてはいけません。

  • サッカーは楽しい!ということを教えてあげること
  • サッカーの競技特性を忘れないこと
  • だから、自分で判断して、プレーする!ということ

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ルールの範囲内なら何をやっても良い(ルールと指示は違う)

一般的な社会において約束を守る事や、スポーツの競技のルールを守る事は必要です。

ですが、ルールを守る事と、指示やチームの決め事を守る事は、絶対的に違います。
特にサッカーは相手がいて、相手と接触もあるスポーツですから、安全のために、そして、
一緒にサッカーを楽しむためにも、ルールの順守は必要です。
どれだけ年齢の低いカテゴリであっても、ルールを守る事、その意義を学ばせる事は大切です。

ですが、サッカーは自由なのです。
私が師匠と崇める方もおっしゃっていました。(ルールを守って、)
「サッカーは自分のゴールにボールをぶち込まなきゃ、何をやっても良いんだよ」
これは監督論の話をしている時に伺ったお言葉ですが、
育成年代の選手や指導者にも必要な理念だと思います。

この発想があるから、クリエイティブな選手が生まれてくるし、サッカーを楽しんでくれる子どもたちが増えると思うのです。

『星野君の二塁打』に話を戻すと、星野君は褒められて然るべきです。
チームの決め事や作戦を守る事の大切さを指導するなら、
もっと他に適するシーンがいくらでもあるはずです。

私なら野球を辞めるでしょう。
もしくは、無知ゆえに、そういうものだと思い込み、自分が悪いんだと思い込むでしょう。
自尊心も育まれず、決め事だけを守って動くロボットになるかも知れません。

それはスポーツとは言わない。

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本当の自由とは?

「じゃあ、好き放題やるのが良いのか?」「みんなが勝手にプレーしたら協力の必要性は学べるの?」
「自由って何なの?」というお声が聞こえてきそうです。

サッカーの競技特性の話になりますが、その特性ゆえに、情報を集め続け、
自分で切れ目なく判断(決断)し、実行しなくてはいけません。

自由にプレーして、そして、《自分で責任を取る》ということが本当の自由ではないでしょうか?
スポーツは勝利を目指すのが本質です。もしも、チームの決め事に反しても、勝てば良いのです。
ましてや、「監督やコーチの言う事と違う事して勝ってやろう!」くらいの子どもがいないと、
大きな話で言うと、日本は世界に勝つ事なんかできないと思います。

但し、チームで決められた事と違った事をして、結果的に失敗した・負けた場合は、
その責任は取らないといけません。
それがメンバーから外れることであったり、指導を受けることであったり、
注意されるなど、年齢やチームの熟成度にもよるでしょう。

失敗してもOKではなく、失敗したら不味いというリスクを受け入れ、チャレンジするから
(ある意味スリリングで)面白いのです。
星野君も、バントを無視して、凡打に終わっていれば、監督の指導も受け入れやすかったでしょうし、
あるいは、次こそは!となったかも知れませんね。

どうか子どもたちが楽しんで、安心して、リスクにチャレンジできる環境を作りましょう。
大人の指示を破った選手を、温かい目で見守り、笑って構えていましょう!

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